うちの法要も、このお坊さんにお願いしたいな〜

親戚のおばさんの三年忌に参加

(割と大きな病院の創設者の奥さんで現院長のお母さん)

 

若いさわやかな

好青年のお坊さん。

「法要を始める前に

ちょっとお話を」と 話し始めました。

 

「まずは

お礼を。

 

迷子になったうちの猫を

『オタクの猫じゃないですか?』

と そちらのガードマンさんに連れてきてもらいました

どうやら病院の庭に入り込んだようです。

ありがとうございました。」

 

「次に

こどもたちにクイズです。

 

極楽浄土と地獄にいった人たちに

神様はお粥を上げました。

ところが熱くて食べられません。

神様は

『これで食べなさい』と

柄が1mくらいあるスプーンをあげました。

 

さて、

極楽浄土の人や地獄の人たちはどうなったでしょうか?

・・・

ヒントです。

極楽浄土の人たちは

お粥を食べることができましたが、

地獄の人たちは

誰もお粥を食べることはできませんでした。」

 

このお話の後

「この物語で

お伝えしたいことは

人を思いやる心です。

 

極楽浄土の人たちは

互いに協力し合い

思いやることができたので

全員お粥を食べることができました。。

 

でも

地獄の人たちは

自分のことしか考えないので

誰もお粥を食べることはできませんでした。

なぜ協力ということをしないのでしょうか?

人への思いやりを持たないのでしょうか?」

 

と物語を締めくくりました。

 

そして

最後に

「人の出会いとは

人智で図ることはできません。

どんな出会いも意味のある出会い。

どんな出来事も意味のある出来事

ここに縁あって

お集まりになった

ご家族ご親戚の方々は

三年忌を向かえられる〇〇さんのことを忍びながら

このご縁のことを考える機会にされてはいかがでしょうか」

 

このようなことを

法要の席で

お坊さんが話されるのを初めて聞きました。

 

「出会いは

人智で図ることはできない

どんな出会いも意味がある

どんな出来事も意味がある」

 

自分にとって都合のいい人だけが意味があるのではなく

自分にとって益になることだけが意味があるのではなく

 

嫌な人 苦手な人 害を与える人でさえ 意味がある

病気になる 事故に合う 騙される 倒産する

なども

すべて意味あること

 

さてさて

年に一度も会うこともなく

親戚といっても

誰が誰の子かもよくわからない

今日のこの出会いにどんな意味があるのか

 

なんてことを考えながら

爽やかで

好青年のお坊さんの

お経に聞き入ってました。

 

そして

 

うちの

法要もこのお坊さんに

お願いしたいな〜

と思ってしまいました。